LA RIOT

  • 2009/04/30(木) 15:37:18

夜のニュースを見ていたら、今日はロス暴動の記念日だと。
'92年のことだから、もう17年前・・・。
もうそんなになるのか。「光陰矢のごとし」
今日は以前、10周年の2002年に雑誌G!に書いた物を長くなるがアップしてみる。
ご一読あれ。



LA RIOT・暴動
早いものでもうあのLA暴動から10年が経った。かなり昔の事のような気もする。
それは暴動の後がもうあまり目に付かないからだと思う。
もちろん今でも空き地のままになっている、暴動の時に燃やされてしまった建物の跡地とかも
残っているが、見慣れてしまって別に違和感が無くなってしまった。
今回この原稿を依頼されて久しぶりに暴動の時の事を思い出してみた。
あの日はロドニーキング暴行事件の警官達の判決が出た後、
街には人々の納得いかない不満が溢れていた。
俺はサウスセントラルの友達の家に寄ってテレビを見ていた。すると、そこから10分位の場所で、
暴動が始まったとニュース速報が伝え始めた。“やっぱこの辺はクレージーだな”とか思いながら予定していたFRISCOのクルージングへと向かった。
そこは全くいつも通り平和だった。ロングビーチの家へ戻って TVを点けると、
どのチャンネルも全部次から次へと起こる暴動の様子を流していた。
火事、暴力、略奪。そのうちにアパートの外を見れば空が赤い。
近所でも始まっているとひしひしと感じてくる。
平和な日本で生まれ育った自分には味わった事が無い何が起こるか判らない、
滲み寄って来る恐怖。
自分のアパートに火を点けられない事を祈りながら夜更けまでTVを見ていた。
 翌々日の朝、コンプトンの友達から電話が入った。
もう大丈夫だから遊びに来いと言われて向かってみると
フリーウェイの出口から見たコンプトンは、まだ火事の煙がモクモクと何本も上がっていた。
本当に大丈夫かよ?と思いながら溜まり場に着くと、
「何が欲しい?何でもあるぜ。シャツのサイズは?靴のサイズは?」と聞かれ、
裏へ回ってみると、略奪品の山が!。その日はみんなでビールを飲みまくった。
ふと気付くと戒厳令の7時を回っている!やばい!逮捕される。
誰も走ってない道を酔っ払い運転で走っている俺が引っかかった赤信号
はなんと州軍の臨時基地の真ん前。
機関銃担いでこっちを睨んでる20〜30人の州兵と何台かの装甲車。
もはやそこはセブンイレブンのパーキングではなかった。かなりビビったのを思い出す。

日本では知られていないと思うが、まだ街の空気がくすぶっていた数週間後に
LA郊外のポモナで行われたLRMのショーでも暴動が起きた。
ROGER&ZAPPの演奏中に1000人は居ただろう客席の中でギャング同士の喧嘩が始まった。
逃げる10人位のギャングに追う倍以上の他のギャング。逃げ惑う一般客。
それをきっかけに何百人もが走り回る。
その頃LRMの物販のブースは騒ぎに便乗して暴徒と化した連中に襲われ、
会場入り口付近では銃撃戦が起きていた。大混乱の中、自分達は展示していた
63コンバー”ブラックチェリー”を守るのに必死だった。
車を逃がした直後に俺達のすぐそばで、逃げて来た奴らが捕まってボコボコにされていた。
パッと人が散ると刺されて血まみれで倒れてる奴が居た。もう動かなかった。その後警察のヘリコプターが会場に着陸、騎馬警官の軍団が来てやっと騒ぎが収まった。
その夜のニュースは死者が出た事を伝えていた。
今回久しぶりに10年前の出来事を思い出したけど、いまだに俺の中には嫌な感じが残っている。

という物でした。

この原稿からも、もう7年が経ったのか。
現在はサウスセントラルの暴動の後も、かなり再開発でキレイになり、
暴動のせいで、壊され、燃やされ、いかにもゲットーといった感じの廃墟となった場所や、
それらをつぶした後は放ったらかしになっていた場所は、
新しい店が建てられ並び、スターバックスで人々はコーヒーを買う。
良い方向に大きく変わったと思う。
町の空気が昔より軽くなった気がする。

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